どうも、アートリサーチャーさくらこです。
実は先月からデスマンス(金欠でやばい月)なんです。
10月に入院した&1月に引っ越し予定ということでしばらく節約生活が続き、もはやマンスではなく「デスシーズン」
「現金が無いのでクレジットで支払う→翌月も支払で現金がなくなる」という魔のサイクルに身を投じている社会人2年目(笑えない)
そんな生活の中で、ふと壁にかかっている初めてのボーナスで購入した約8万円のノワール ケイニノミヤのアウターが目に入りました。
「現金が無いのでクレジットで支払う→翌月も支払で現金がなくなる」という魔のサイクルに身を投じている社会人2年目(笑えない)
そんな生活の中で、ふと壁にかかっている初めてのボーナスで購入した約8万円のノワール ケイニノミヤのアウターが目に入りました。
これを売りに出すべきか否か…
今日は、単なるお買いもの中毒の話ではなく、洋服が好きだからこその苦悩を綴ります。
1人暮らしを機に服の量を4分の1にしたはずなのに(残りはただ実家に置いているだけ)、2年も経てばハンガーラックが折れそうw
衣替えの時期に、昨年一度も着ることが無かった服を思い切って捨てようとしたけど、そのうちの半分以下しか処分できませんでした。
ファッション業界で働いていた母は「どんなに素敵なお洋服でも、糸偏物は消耗品なのよ。」と言う割に、30年前のお洋服を大切にとっていて今でも現役で着ています。
そのほとんどは「縫製がいいお洋服」で、具体的に言えばギャルソン、ヨウジ辺りはもちろん、ニコル、ビギ、ケンゾーですかね。
20代の時に買った洋服を今も着こなしている母はすごいと思っていたのですが、、、20代のころに50代になっても着ることのできるお洋服を買っていた母がすごいと思いませんか。
今日は、単なるお買いもの中毒の話ではなく、洋服が好きだからこその苦悩を綴ります。
お洋服が好きな人の中でも、捨てられる人・捨てられない人・売れる人・売れない人がいます。私は、捨てられないし売れない人です。
1人暮らしを機に服の量を4分の1にしたはずなのに(残りはただ実家に置いているだけ)、2年も経てばハンガーラックが折れそうw
衣替えの時期に、昨年一度も着ることが無かった服を思い切って捨てようとしたけど、そのうちの半分以下しか処分できませんでした。
ファッション業界で働いていた母は「どんなに素敵なお洋服でも、糸偏物は消耗品なのよ。」と言う割に、30年前のお洋服を大切にとっていて今でも現役で着ています。
そのほとんどは「縫製がいいお洋服」で、具体的に言えばギャルソン、ヨウジ辺りはもちろん、ニコル、ビギ、ケンゾーですかね。
20代の時に買った洋服を今も着こなしている母はすごいと思っていたのですが、、、20代のころに50代になっても着ることのできるお洋服を買っていた母がすごいと思いませんか。
大学生のころはお金が無いけど服が欲しくて、安い服をたくさん買っていました。
なので、同じ20代で母は高い値段の洋服を買っていたという事実に、嫉妬したことがあります。
それは、自分の買っている服は母の言うとおり消耗品で、何十年も着ることが出来る代物ではないと分っていたからです。
でも本当は、母のように何十年も大切に一着を愛するようなおしゃれがしたい、と思っていました。
ある日、スピンズで買ったバッドマンみたいなパーカーを着ていたら
「え?さくらこでもスピンズとか着るんだ(笑)」とオゾック系ギャルの親友に言われて、身の丈に合う値段から品を選ぶと、私がその品(スピンズ・39マート)と同じような低価格な女(笑)に見られているんだなと感じたのを今でも覚えています。
その話を母にはすると、「値段で選ぶんじゃなくて、上手な買い物をしなさい。」と言われ、古着屋さんに通うようになりました。
掘り出し物のブランド古着や、ノーブランドだけどデザインも最高にかわいいものを発見するセンサーが育って、「長持ちするもの」と「消耗品としての服」の差を学んでいきました。
それは、我が故郷が生んだ世界のユニクロのタートルセーターです。
冬になると5日間はユニクロのセーターを着ているので、傷むのも早く2年着たら捨てるようにしています。ユニクロのセーターは無くてはならないセーター。
ありがとうという気持ちを込めて、ユニクロのリユースボックスに入れています。
いつかはマルジェラのセーターを普段着でバンバン着てみたいです。
でも今の私は「消耗品になりうる普段着」に、お金を投資する余裕はありません。
今の私が楽しいと感じるのは、時々しか履かないマルジェラのブーツをちょっぴり贅沢して買うことです。
でも本当は、母のように何十年も大切に一着を愛するようなおしゃれがしたい、と思っていました。
ある日、スピンズで買ったバッドマンみたいなパーカーを着ていたら
「え?さくらこでもスピンズとか着るんだ(笑)」とオゾック系ギャルの親友に言われて、身の丈に合う値段から品を選ぶと、私がその品(スピンズ・39マート)と同じような低価格な女(笑)に見られているんだなと感じたのを今でも覚えています。
その話を母にはすると、「値段で選ぶんじゃなくて、上手な買い物をしなさい。」と言われ、古着屋さんに通うようになりました。
掘り出し物のブランド古着や、ノーブランドだけどデザインも最高にかわいいものを発見するセンサーが育って、「長持ちするもの」と「消耗品としての服」の差を学んでいきました。
消耗品としての服
捨てられない私ですが、唯一未練なく捨てられる洋服があります。それは、我が故郷が生んだ世界のユニクロのタートルセーターです。
冬になると5日間はユニクロのセーターを着ているので、傷むのも早く2年着たら捨てるようにしています。ユニクロのセーターは無くてはならないセーター。
ありがとうという気持ちを込めて、ユニクロのリユースボックスに入れています。
いつかはマルジェラのセーターを普段着でバンバン着てみたいです。
でも今の私は「消耗品になりうる普段着」に、お金を投資する余裕はありません。
今の私が楽しいと感じるのは、時々しか履かないマルジェラのブーツをちょっぴり贅沢して買うことです。
実用性があるものに資金を投じる人もいますが、わたしは消耗品における部分で「身の丈に合う品を選ぶのではなく、身の丈に合う買い方で身の丈以上の品を持とう」という精神を貫きたいと思っています。
ノワール ケイニノミヤ 特別な一着を売り出すのか悩んだ事件
今回の金欠デスマンスの影響で大切なお洋服を手放すかどうか悩んだとき、私はある人に相談しようとしていました。
ファッション批評家の平川武治さんです。
そんなこと自体、恐れ多いのですが「相談するぞ!」と意を決して、失礼が無いように何度も文章を書きなおしていたら…書き直しているうちに、自己解決しちゃったんです。
以下、平川武治さんのブログに書き込む予定だったコメント(相談)
平川さん、はじめまして。
私も二宮さんのお洋服が好きだったので、平川さんが「僕が好きで、気にかけている二宮君」とご紹介されているのを読んで何だか嬉しくなりました。
今悩んでいることがあり、コメントさせていただきます。
自分が初めてギャルソンでプロパー買いしたノワールケイニノミヤのお洋服を売るか悩んでいます。
現在生活に支障が出るほどの金欠で、やりくりするのが大変になってきました。
もともと社会人1年目の初めてのボーナスで買い、身の丈に合ったお買いものではなかったかもしれませんが、本当に好きで買ったものです。
しかし、買っても3.4回しか着ておらず、お洋服にとってももっと回数着てくれる人の方が嬉しいんじゃないかと悲しく思っています。
私は両親の影響でコム・デ・ギャルソンが好きになったのですが、私が好きになったギャルソンは既に完成されたもの。
ブランドの成長とともに青年時代を過ごしてきた両親を羨ましく思っていました。
そんな田舎の私も就職とともに上京することが決まった年に、「ノワールケイニノミヤ」がスタート。出来上がったギャルソンしか知らない世代だったと思っていたら、新しいラインの立ち上がりを経験できたことがまず嬉しかったですし、コレクションもとっても好きなものでした。
すでにここまで書いて、私は泣きそうでした。(本気)
コレクションを見て感動し、ルックブックを見ながら店員さんと盛り上がり、待ちに待って初めて手に取ったあの日。
服は軽いのに、その時の袋を持つ気持ちは重く、だけど軽やかな足取りになる。
コムデギャルソンの新たなブランドストーリーに、自分も参加できていることがとっても嬉しかったんです。
そんなこんなで、ここまで好きなら今は売るべきではない。と確信が持て、頑張ってやりくりしています。
この言葉は、ダンディな祖父が若かりし母に言った言葉です。
若いころから本物を手にすることはとっても良いことだと思います。
ただ表面ばかりを着飾るのではなく、その美しさを引き出しあえるよう、内面も磨きたいものです。
経済的に余裕がないと、ちょっと荒くなってしまう私なので、来年はもっとお金と体調管理をがんばります。
ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。
peace
by アートリサーチャー
さいごに
「理想は高く持ちなさい。そして、その理想に似合うように自分を磨きない。」この言葉は、ダンディな祖父が若かりし母に言った言葉です。
若いころから本物を手にすることはとっても良いことだと思います。
ただ表面ばかりを着飾るのではなく、その美しさを引き出しあえるよう、内面も磨きたいものです。
経済的に余裕がないと、ちょっと荒くなってしまう私なので、来年はもっとお金と体調管理をがんばります。
ここまで読んでくれたあなた、ありがとう。
このブログは、あなたの明日が今日よりも少し幸せになって頂くために書き続けます。
peace
by アートリサーチャー
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